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福岡高等裁判所 昭和25年(う)405号 判決 1950年11月22日

控訴人 被告人 田淵今朝六

弁護人 長崎祐三 外二名

検察官 納富恒憲関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

被告人並びに弁護人長崎祐三、同香田広一、同古賀俊郎の各控訴趣意は、末尾に添えた書面記載のとおりである。

弁護人長崎祐三の控訴趣意第一点(1) 、同古賀俊郎の控訴趣意第四点の(一)について、

しかし原判決の挙示している各証拠の内容を仔細に検討すると、原審相被告人三木善吉同渡辺力雄が被告人及び当審における分離前の相被告人甲木千秋に対し、申告書の是認をうけその他会社の税務に関し便宜な取扱いを受けたい趣旨の下に饗応した事実を優に認めることができるので、同趣旨の下において被告人等が饗応を受けたとの事実を判示した原判決には所論のような理由不備の点なく、論旨は理由がない。

右長崎祐三の控訴趣意第一点の(2) について、

原判決が証拠に採用している被告人の司法警察員に対する第一、二回供述調書中に被告人が判示日時場所において饗応を受けた事実の供述記載のないことは所論のとおりである。しかし右各供述調書中には、被告人の職務内容に関する具体的な供述記載があるので、原判決はその部分を可分的に他の証拠とともに判示事実認定の証拠に供したものと推認されるので、原判決には所論のような違法の点なく、論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点の(1) 、右古賀俊郎の控訴趣意第二点の(一)、(二)弁護人香田広一の控訴趣意第一点竝びに被告人の控訴趣意について、

しかし、被告人の検察官竝びに司法警察員に対する供述調書が、所論のように検察官若しくは司法警察員の被告人に対する強制、脅迫又は拷問の結果に基ずいて、被告人が不任意にした虚偽の供述を記載したものであることは、本件訴訟記録を精査してもこれを発見することができないばかりでなく、検察官又は司法警察員は取調にあたり被告人に対し、あらかじめ黙秘権の存することも被告人に告げていることが認められるし、最後には録取した供述内容を読み聞かされてその誤のないことを申立て署名押印又は拇印したことも認められて、その供述はいずれも被告人が任意にしたものと推認されるから、原判決が右各供述調書を証拠にとつたことには少しも違法の点はない。論旨はいずれも理由がない。

前記古賀俊郎の控訴趣意第二点の(三)について、

案ずるに、公判廷外における被告人の自白の任意性の有無について、あらかじめ、これを調査しなければならないことは所論のとおりであるが、その調査の方法については、特別の規定がないので供述調書又は供述自体の内容形式により或は証人尋問をするなど裁判所が適当と認める方法によりその任意性の有無を調査検討すれば足り、しかも陪審制度を採用していないわが刑事訴訟法の建前からいつて、その調査は必らずしも証拠調の事前においてこれを行うことを要せず、その証拠調の際、若しくは判決をなすに当つてこれを行うも亦差支えないものと解するを相当とする。

今、原審第五回公判調書の記載によると原審は所論被告人の司法警察員に対する供述調書における供述の任意性について、証人江下日露男を尋問して取調をしているばかりでなく同証言及び更に右供述調書竝びに被告人の検察官に対する供述調書自体その他本件訴訟記録によつても、被告人の右供述の任意性を疑うべき点は毫も発見できない。それらの点からみると、原審は右供述調書を証拠とするに当つて、この供述の任意性を調査した上、その任意性の疑われないものとして、証拠能力を認めた趣旨であることが容易に推認できるので、原審の訴訟手続に所論のような違法の点があるということはできない。論旨は理由がない。

弁護人長崎祐三の控訴趣意第二点の(2) 及び(3) の前段、同古賀俊郎の控訴趣意第一点、竝びに同香田広一の控訴趣意第二点について、

しかし、原判決の挙示している各証拠の内容を仔細に検した上、これを綜合すると、被告人が原審相被告人三木善吉、同渡辺力雄等が判示会社のため判示のような趣旨の下に饗応するものであることの情を知りながら判示各日時場所においてその職務に関して判示のとおり饗応を受けた事実は優にこれを認めることができる。そして公務員が職務に関して饗応を受けた場合には、これによつて直ちに収賄罪は成立し、たとえ、その饗応を受けるにあたつて、その費用の一部を負担したとしても、それは右犯罪の成否に毫も消長を及ぼさないものであることはいうまでもないから、所論のように被告人が判示饗応を受けた際、酒二升の代金を支払つたとしても被告人に対する収賄罪の成立を阻却するものということはできない。論旨は採用に値しない。

弁護人長崎祐三の控訴趣意第二点の(3) 後段、同古賀俊郎の控訴趣意第四点の(二)について、

しかし、被告人が判示第五の日時、判示今宿遊廓特殊喫茶店酔月樓において三木善吉、渡辺力雄等から酒食の饗応を受けたのが、心神喪失中の行為であることは、原審において何等の主張をもしていないばかりでなく、本件訴訟記録を精査しても被告人が饗応を受けるにあたつて、当初から心神喪失の状態に在つた事実はこれを認めることができない。論旨は理由がない。右古賀俊郎の控訴趣意第三点の(二)について、

記録を調べると、原審第六回公判調書中、論旨摘録にかゝる被告人の供述記載があることは所論のとおりであるが、それは被告人が単に判示第五の事実を否認したにすぎない趣旨であつて、刑法第三十九条所定の心神喪失又は心神耗弱の状態にあつたことを主張した趣旨とは解されないので、原判決が刑事訴訟法第三百三十五条第二項にあたる主張があつたものと認めないでこれに対する判断を示さなかつたからといつて違法ということはできない。論旨は採るを得ない。

弁護人長崎祐三の追加控訴趣意第二点の(4) 同古賀俊郎の控訴趣意第三点の(一)について

原判決は(一)被告人が当審における分離前の相被告人甲木千秋とともに昭和二十四年一月二十一日頃三木善吉、渡辺力雄等が判示会社のため税務に関し、便宜なる取扱、竝びに申告書の是認を受けたき趣旨を以て饗応することの情を知悉し乍ら中津駅前鶴屋旅館において午後一時頃から約一時間半に亙り同人等から会社の経費を以て一人前千二百五十円相当の酒食の饗応を受けた事実及び(二)被告人が右酒宴終了後、同趣旨の下、前掲三木、渡辺両名から、会社の経費を以て、佐賀県佐賀郡北川副村大字木原の俗称今宿遊廓特殊喫茶店酔月樓に案内されて、そこで午後六時頃から、翌朝六時半頃迄一人当り四千円相当の酒食の饗応を受けた事実を判示しており、(一)は、被告人が相被告人甲木千秋とともに一時間半に亙つて饗応を受けた事実、そして(二)は被告人が単独で(一)の事実の数時間後、更に他の場所で、饗応を受けた事実で、各日時場所を異にしているのであるから右各事実は刑法第四十五条前段の併合罪にあたるものと認めるのが相当である。

すると、原審がこれに対し同法条を適用処断したのはまことに正当であつて、原判決には所論のように法令の適用を誤つた違法の点なく、論旨は理由がない。

弁護人香田広一の控訴趣意第三点について、

しかし、重復する部分の論旨の理由がないことは既に以上同弁護人の論旨に対して説明したとおりであつて、利益に援用し得る部分は秀島敏行の趣意書中被告人等は上司の指揮監督の下に命を受けて仕事をしていたもので課税に関する最後の決定権を持たない下僚であるから、たとい饗応を受けても職務に関して収賄したことにはならないという趣旨の点、判示饗応が職務に関するものであることを知つていた知情の点を被告人の自白だけで認定しているとの点及び原審の刑を不当なりと主張する情状の点であるからこれに対して説明を加える。

案ずるに、上司の指揮監督の下にその命を受けて事務処理独立の決裁権を持たない者でも、公務員等がその公務員の地位に伴い公務員として取扱うべき一切の執務は、涜職罪におけるいわゆる職務と解すべきものであるから、そのような職務を行う地位にある公務員がその職務に関して賄路を収受する等の行為をした場合にはそれによつて直ちに収賄罪の成立あることは言を俟たないところである。

原判決の確定した事実は、被告人は昭和二十三年九月一日から大蔵事務官として佐賀税務署直税課第二係に勤務し判示のような法人に対する税務に関する事務を司掌していたところ、判示のとおりその職務に関し判示趣旨の下に酒食の饗応を受けたというのであるから、被告人がたとい所論のように、課税に対する最後的決裁権を持つておらず又、会社側の意向を上司に伝達せず或はその意向の実現に努めた形跡が認められないにしても、右原判示にかかる被告人の所為が刑法第百九十七条第一項前段の収賄罪を構成することは極めて明白である。論旨は理由がない。

次に知情の点を被告人の自白だけで認定したとの点であるが、原判決の挙示している各証拠を仔細に検討すると、所論知情の点は、被告人の検察官、司法警察員に対する供述のみならず他の証拠をも綜合してこれを認めている趣旨であることが容易に看取できるので、原判決が知情の点を被告人の自白だけで認めたとの論旨は採るを得ない。

次に量刑不当の点であるが、本件記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われた被告人の性格、年令、境遇竝びに犯罪後の情況等を考究し参酌しても、原審の被告人に対する刑の量定は、まことに相当で、これを不当とする理由を発見することができないので、この点も亦採るを得ない。

その他、本件訴訟記録を精査しても、被告人に関する部分の原判決を破棄する事由を発見することができないので、刑事訴訟法第三百九十六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白石亀 裁判官 藤井亮 裁判官 大曲壯次郎)

被告人田淵今朝六の控訴趣意

原審判決に引用してある被告人に対する検事の供述調書は脅迫によつて作成されたものである。

一、第四回公判廷に於て供述した如く係検事の取調に際し飲食遊興の点は認めるがその趣旨は職務に関したものでなく友人関係でなしたものであると述べ検事の意向を否認したところ検事は色をなして大声を張りあげ、お前は年はいくらかと言われたので年は三十七ですと答えた、すると検事は年は三十七にもなつてこんな事が判らんか、若しこれが人民裁判にかけられたらお前は殺されるぞ、君達税務官吏は辞めても決して困らない。寧ろ良くなると言われた。

右の事実は同室で取調を受けていた朝鮮人李某が拘置所に帰る途上他の被疑者達にも一人のひとは検事から大変叱られていたから遅れると言つたことで判る。

尚当日の出廷者の中で被告人だけ遅れて拘置所に帰つた。

二、証人寺本兼治の証言にある通り被告人は当時労働組合の副委員長として共産党の反税闘争に最も強く反対していて共産党員の動向を非常に心配していた。

三、検事の取調を受けた時は独り息子の死亡直後で精神的虚脱状態であつた。

四、右綜合して被告人が前記二乃至三項の如き条件のもとにあるとき前記一項の如き言辞は被告人にとりては何物にもまさる脅迫であつた。

検事の供述調書は斯る脅迫による自白に基くものであつて任意になしたものではない。

以上のように証拠として価値のないものを引用しているので原審判決は破棄さるべきものである。

弁護人古賀俊郎の控訴趣意

第二、原判決は採証の法則に違背した違法がある。

原判決は被告人田淵の司法警察員に対する第一回、第二回の各供述調書、並検察官に対する供述調書の各記載を証拠としている。然し之が脅迫による不実の自白であることは被告人田淵の供述で明瞭である。

(一) 検察官は公判廷で「之が人民裁判にかけられたらお前は殺されるぞ」と云つた覚はないが仮りに之を発して居つたとしても、それが脅迫的文句になるとは思料されぬと言つておるが、かゝる言辞が脅迫にならないという事は理解に苦しむ。しかも取調の経過に於て検察官は被告人が満州の引揚者であり、従つて敗戦当時における満州に於ける人民裁判の惨酷さを十分に了承していたものである事を知つていた筈である。斯様な言辞を脅迫的言辞と考えぬ検察官は之を発したであろうと云う事は推定される。仮りに発したのでなく実際発した事は被告人の供述通りと云わねばならぬ。然らば此の検察官の調書は刑事訴訟法第三百十九条により証拠能力なきものである。又仮りにかゝる言辞が発せられなかつたかも知れぬとしてもかゝる主張をなす検察官により作成された調書は刑訴三百二十二条の任意性なきものである。被告人田淵の検察官に対する供述調書第十二項(末項)に

「以上の饗応は勿論社交上の儀礼と云うべきものではありません。私達税務署員の職務に関するもので会社の目的としては会社の税務関係についてイロイロと便宜を計つて貰うとの下心でやられたもので、そのことは饗応を受ける都度十分認識して受けました。私は本件の為に同僚諸君の信用を失墜せしめたことを済まないと思うて居ります。私は渡辺が居る関係で板紙株式会社の饗応を受けましたが、同会社の饗応でも渡辺が居らない宴会には出て居りません、私事を公事に利用せられたことは取返しのつかぬことであります。従つて他の会社等には全然饗応になつた事はありません」とある。前段で収賄の趣旨を認め後段で事の真想を述べている。一見矛盾なき様に見えるが第一に述べた事実を念頭に置き此の項を見ると明らかに矛盾した供述になる。試みに此の第十二項を後の方から供述した形に直すと「私は他の会社等には全然饗応になつた事はありません、私は(親友)渡辺が居る関係で板紙株式会社の饗応を受けましたが(之は親友渡辺と個人的関係から飲んだものでありますから)会社の饗応でも渡辺が居らない宴会には出て居ませぬ(若し会社側では贈賄のつもりで饗応したと云うなら)私事を(私の知らない間に)公事に利用せられた事で取返しのつかぬ事であります」となり之から調書第十二項冐頭の様な収賄の意思を認めるという事は明らかに矛盾して来るのである。

此の矛盾自体が検察官の脅迫により形式的にその趣旨を認めさせられた事実を物語るものである。従つて若し刑訴第三百十九条違反の証拠と云えない場合でも刑訴第三百二十二条の違反の証拠である事は明瞭である。

(二) 又田淵を取調べた司法警察官江下日露男は証人としてその取調の状況を次の様に証言している「問 田淵が四月二十八日は子供の四十九日だからそれ迄には帰して呉れと懇請した様なことはなかつたか。答 懇請は受けませんでした只それ迄に帰れるだろうかと言う訊ねを受けました。問 それは調べの始めか終りか。答終り頃でありました。問 するとそれ迄は子供の死んだ事実は知らなかつたのか。答 子供を亡くして居ることは調べの始め頃聞きました。問 田淵に対する証人の調書を見ると始めは個人関係の様に述べて居り乍ら二十五、二十六、二十七問答あたりで急転直下会社関係の様に変つて居り任意に答えた様には受取れないがどうか。答 それは私の方から職務関係でないかと追及した結果左様な供述をしたのであります。問 其の時証人が何日迄も強情を張れば四十九日までには帰れないではないかと云う様なことを云つたのではないか。答 早く済まして早く身軽にならねばいかんぢやないかとは云いましたが左様なことを云つては居りません」之によると取調た警察官は田淵が唯一の男の子を死亡させその四十九日の供養の為苦慮して居りその為に切に早く帰宅さして頂きたいという心情を熟知して居りその上で「早く済まして早く身軽にならねばいかんじやないかと云いました」のであり、之は「早く注文通りにならなければ何時迄もすまないぞ」つまり「何時迄も勾留するぞ」と云うのと同義語である事は明瞭で明らかに脅迫的言辞である。かゝる脅迫による司法警察官に対する自供調書が刑訴第三百十九条による証拠能力なき事は明白である。之等(一)、(二)の証拠能力のない各供述調書を証拠として採用している原判決は到底破棄を免れない。

(三) 第四回公判調書によれば田淵の司法警察官並に検察官に対する自白調書はその任意性につき強く具体的に争われている。これに対し検察官が只自己作成の自白調書につき単に意見を述べたのみで、裁判官は全然任意性に関する調査をなさずに直ちに証拠調をする旨の決定をして之が証拠調をなしている。之は明らかに刑訴第三百二十五条に違反している。刑訴第三百二十五条が証拠調前に於ける調査義務を課したものである事は通説であります。「これは証拠調の事前に於ける調査義務を課すことによつて……団藤重光著、新刑事訴訟法綱要一五七頁」「我が刑事訴訟法では自白に限らず、すべての供述について証拠決定前に任意性その他証拠能力の点を審査すべきであつてこれらを認定する証拠は伝聞たると否とを問わないが、争があれば検察官が立証しなければならないものと考える……青柳文雄著刑事訴訟法通論三六一頁」「裁判所に供述の任意性の事前調査を命じた規定である……横井大三著、新刑事訴訟法逐条解説第三巻一二二頁」

然らば此の証拠調手続は訴訟手続に違反しているものであり破棄を免れない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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